そして5年間ほど住んでいたスイスの街へ里帰りに。
これまでよく訪れていた街だったがちゃんと調べた事がなかったので、今回は自分のために旅の記録を綴ろうかと・・・・★
◆旅前半はイタリアへ
福岡発 → Roma着
Romaから車で三時間ほどでJ氏のイタリアに住む祖父母の街「San Savino」へ。
San Savinoはマルケ州の最も南に位置するアスコリ・ピチェーノ県にある。
標高250-300m、南東向きの急斜面に畑は位置し、沿岸からは8km程度で遠くアドリア海が臨める。(Webで見つけた記事より)
これは祖父母宅からの景色。遠くにうっすらアドリア海が見えている。
イタリアへ行く時はココに泊まらせてもらう。
そしてNonni(じーちゃん、ばーちゃん)、親戚のおばさん達と沢山おしゃべりをする。
イタリア語ができなくとも何となく会話できるようになってきた。
お皿洗いを手伝うと毎回褒めてくれるので、いい気になってしまう。w
今年は猛暑だったので、昼間は日差しが入らないように日よけを閉め切っていた。
家の中は昼間っから真っ暗。真っ暗闇でふつ〜に会話していたのが面白かった。
ばーちゃん、じーちゃんはいつも可愛がってくれて頭をなでたり、足をこしょぐってきたり。本当の孫のように接してくれて愛をもらっている。言葉の壁はあるけど愛は伝わる。
椅子に座って眠るNonno....とても器用で頭の回転が早く面白い人。
そして、この街の近くで一番栄えている街が「San Benedetto del Tronto」。
San Benedetto del Tronto はマルケ州のリゾート地でこの時期はヨーロッパ各国から訪れるバカンス気分の人々で賑わっている。
よく買い物に行ったりビーチに遊びにいったり、レストランやカフェに行く事が多い。
J氏が子供の時に家族で住んでいた街なので、イタリアでの地元みたいな感覚のところ。
アジア人は非常に少ない地域なので、歩いていると結構目立つ。
到着から二日経ち、お姑さんが生まれ育ったまち「Riccia」へ7年ぶりに親戚に会いに行った。San Benedetto del Trontoから炎天下の中3時間ほど高速を走り辿り着いた。イタリアも今年は猛暑で日中37℃程あり灼熱!ピーカン!
Ricciaは人口5,649人のモリーゼ州、カンポバッソ県にある小さな古い街。お姑さんは七人兄弟で、ここからスイスへ移住して30年ほどになる。里帰りをすると昔の思い出を話してくれてココにまだ住んでいる親戚達と大いに盛り上がる。都会から離れている田舎の町なので知らない人や車が通るだけで街中から注目を浴びる独特のド田舎の空気がある。
従兄弟の子供達、路地裏でサッカーが自然と始まる。車にあたってもお構いな〜し。
Ricciaの伝統的なパスタ。Ciufoli(チュフォリ)。食感は餃子に若干似ている。作る時は指先でクルンと押し引いて丸める感じ。もっちりでとても美味しい。
プロシュートにサルシッチャ、トリュフ入りチーズにモッツァレラ。この街はモッツァレラの生産で有名らしく。結び昆布のような状態のものは、製造時の余りで作られた非売品のモッツァレラ。
これがまーーーーーーーぁ、美味しかった。
トマトも然り、どれをとっても素材の味がシッカリしているので余計な味付けをしなくても楽しめる食材ばかり。気候なのか、品種なのか。素材の味の旨さはイタリアの不思議の一つ。 スイスは隣国なのに野菜は水っぽく、うっすらの甘み。この差はなんだ・・・。
ココには南イタリアの強い方言があるらしく、
マンジャ!(食べろ)→マンニャ!
ピアノピア〜ノ(ゆっくりゆっくり)→キャノキャ〜ノ
などがある。日本人の私が言うと毎回爆笑・・・。ハズレ知らずのネタ。
特に、ほぼイタリア語を話せない私みたいな外人がいきなり方言ではっきり言葉を言う事が面白いようだ。
日本でもそうだけど、外人が博多弁で「たべんね〜」とか「おいしか〜」とか言い出したらやっぱり面白い。万国共通で方言は外人がハッキリ言うと笑いが起るのだろう・・・。
Ricciaに行くとこの日がたまたま年に一度のお祭りの日であった。
子供からお年寄りまで大勢の人が夜中まで街を徘徊し、BarやClubで楽しんでいた。
若者とお年寄りが仲良くお酒を飲みかわしている光景がそこら中にあり、文化の違いを改めて感じた夜だった。
→旅の記録後半に続く・・・
前半で既に気力を使い果たした感。いつアップできるだろうか・・・・w
ciao ciao