2016年5月26日木曜日

::: Good morning :::


小津安二郎の映画「お早う」
好きな日本映画作品の一つ。

今朝バス停で、オレンジ色の風変わりなサングラスをかけた初老の男性がバス停前にある美容室の植木をまじまじと一つずつ観察してバスを待っていた。
そこへ美容室から若めの男性店主が現れた。
「この植木はまた生き返って綺麗な葉が生えてるね〜」
「ツヤがいいね〜、元気がでるよ」
サングラスのおいちゃんは清々しい笑顔で店主と話していた。

こんな会話を聞いているととても幸せを感じるものだ。
 そしてふと、映画「お早う」を思い出した。

人間社会で生きていると他人とのコミュニケーションが面倒に感じる事もあるが、
こういった潤滑油の様な日常の当たり前の様で当たり前に出来ない会話を大切にしたいとおもった。なにせ私が描いている世界はまさにこの部分だから。


ciao ciao

2016年5月4日水曜日

::: The love :::

メモのような記事を。

日常で日本人以外の外国人と接することが多いのだけど、
スイスに住んでいた頃から私たち日本人との違いを嫌でも感じてきた。
でもその度に私は、「自分は変じゃなかったんだ」という安心感を感じる。
世界中ではごく一般的なの意見なのだ。

日本を出るまでは「変わり者の自分が異常なんだ」と思っていた。

でも世界では割と自分は普通の感覚であって、
逆に日本人はかなり特殊な感覚を持っている事に気付く。

歴史的な背景を知っているわけでないので多くを語れないけど、
これまで作り上げられて来た、日本人の美学は独特だ。

最近知り合ったイギリス人の友達にも
「日本人は世界的にみて、自分たちがかなり変な人種であると気付いていると思う?」
と質問されたほど。

したたかさ、謙遜、気遣い、遠慮、恥じらい、和やか。
日本らしいこれらの言葉が時々言い訳に使われている気がしてならない。
モノは言いようとはまさにこの事。

「愛」は仏壇を前にして叫んでも意味は無い。

愛しているなら、相手が生きているうちに恥じらわずに何度も伝えるべき。
会いたい人には、相手が生きているうにに遠慮せずに誘って会うべき。
やりたい事は、自分が生きているうちに謙遜せず行うべき。

メキシコ人、イタリア人、アルゼンチン人、いろんな国の友達がいる。
彼らはとても情熱があり、行動力に優れている。ほとんどの人がそうであった。
失敗の数は多いけど、同じ事を発想しても瞬発力で日本人は負ける。
気付いた時には見えなくなるほどのスピードで彼らは行動に移して行く。

カルチャーショックを受けたと同時に多くを学ばせてもらった。
日本人の情熱は表に見えないだけで同じ温度で持っていると思う。
それをなり振り構わず人前でだして恥をかけるかだけの気がする。
世界は甘くない。とても正直で、笑顔だけで乗り切れないのだ。


ciao ciao