2020年12月5日土曜日

スイス生活半年。

 

先日雪が積もりました。

今月でスイスへ渡航してから6ヶ月が経過します。

この半年間は淡々と丁寧に?確実に24時間を大切に生きている日々の連続でした。2020年下半期は色々な大きな変化が起こるとは思っていましたが、私の身の回りでもしっかりと起こりました。

個人的には少し遠い所からお祭りを見ているような気分でいたコロナウィルスですが、イタリアの家族が感染してしまい、その存在を身近に感じるような事も先日起こりました。そんな事もあり、生きる事と命が尽きる事を改めて感じていました。

それでもウィルスが憎いとは思えません。いい事もあったと思うからです。これは3・11で私自身の考えが180度変わったのと同じように、個人レベルで覚醒が起きて結果的に世界全体が見直され、いい方向に変わっていっているとも思えるからです。かといって好きではないので、人々がマスクを外しての伸び伸びと生活できる日々が来るのが楽しみです。

何と言っても帰省して友人とたわいもない事を日本語で語りたいですな!

スイスの住まいは、後回しにしていた作業場も少しずつ完成に近づいています。引越しの準備期間から考えると6ヶ月ほど筆を握っていなかったので、ここ数年では一番長い冬眠期間でした。以前は2、3ヶ月経つと気が狂う感覚(エコノミーの狭い座席でシートベルトをしたまま10時間動かないような・・・体が凝り固まった感覚)に陥っていましたが今回はそんな事もありませんでした。

特にストレスを感じずに日々淡々と普通の主婦のような生活を楽しませてもらいました。

そんな様子をみて主人が逆に怖い・・嵐の前の静けさかも、なんて思っていたようです。

毎朝ピラティスと瞑想をしていた事も助けになったと思います。この数年間は瞑想は割とどこでもするように趣味レベルで実践していましたが、いつどこでも0地点といいますか、ニュートラルなポイントに戻るのでやはり効果的です。職場や人混み、移動中、買い物中、どこでもやっていました。他にはどんな効果があったかなぁと振り返ると、今思い浮かぶ点では3つ。

1 感覚が澄んでくる

2 愛が湧いてくる

3 集中力が高まる

あとはお坊さんの本を読んで、思考を停止させる練習もよくしていました。

昔は物事を複雑に考えたりする時期もありましたが、基本的にはシンプルで単純に考えます。

でも思考停止の練習はもっともっと単純で、目の前にある今を感じるだけのことです。

空気が - すんでいる。

山が - たかいな。

壁が - ざらざらしている。

鳥が - たのしそう。

子供の作文のような感覚ですが、大人になると随分考えすぎるものです。この練習をしてみて、あーなるほど。シンプルな思考と自分で思い込んでいるだけで、やっぱり概念が出てきたり、測っていたなぁ私・・とやってみると気づく事があり面白い体験でした。

最近は絵の具と筆で絵を描き出しました。これまでのインプット期間はほとんど森で行ってきたのでやはり自然が関係する作品になりそうです。

さて、街はクリスマスの装飾で気分がウキウキしてきますが明日からロックダウンです。どんな雰囲気になるのでしょう。

 

ちょっと気が早いですが、皆様良いお年を。

2020年もありがとうございました。

 

ciao ciao

 

 

 

 

2020年9月29日火曜日

スイス生活3ヶ月。


まだ3ヶ月しか経っていないのかー、といった感じの3ヶ月目を過ごしています。

先週からグッと冷え込んでアルプスの山々は雪化粧を始めたので

私はバタバタと荷物の中からコートとマフラーをを引っ張り出しました。


毎日をよく見つめて、よく感じて生きています。

以前住んでいるので驚く事はないのですが、より客観的に文化の違いを再認識しています。 

今回はドイツ語の感覚を取り戻すためにすぐに現地の友人を作り、沢山ドイツ語を話そうと決めていたので、到着した週にすぐ言語交換パートナーを見つけるサイトへ登録しました。

最近数名にお会いしてみて楽しかったので、続けて行こうと思います。

 

また主人の友達と会う時もみんながスイスドイツ語を話す中、崩れたドイツ語ですが自分から沢山話す様に心がけています。

頑張っているほどでは無いですが、日本語だったら今言うなーと思う事は言う様にしています。そうする事で周り人が私の言語レベルをなんとなく分かってくれて、自然とスイスドイツ語からドイツ語に切り替えてくれます。(スイスドイツ語とドイツ語はおそらく関西弁と標準語くらい違いますw)

 

また助かるのが、思い切り間違ってもヨーロッパ人はそれを嘲笑ったり、幼稚に思う感覚があまり無いので間違いを気にせずに話せます。

そういった時のこちらの人々の対応は日本に比べると紳士的でかっこいいなぁと思います。

間違いを笑うのは日本独特の文化だと昔から思っています。

悪気はなくても根付いていて、私も主人がまだ片言の日本語を話している時はなかなか抜けなかったのでよく分かります。

 

他の面でも海外の人々からすると日本人はとても奇妙な人々に映る様です。

昔、日本に住んでいるイギリス人の友人に「日本人は世界的に見てすごく奇妙な性質を持っている事を自分たちで分かっているのかな?」と聞かれた事がありました。

私は「私は自覚しているけど、おそらく日本の外からこの国を見た事がない人は分からないと思う。」と伝えました。 

欧米人からすると理解不能な風習も多く、独特な忖度ルールもあったりで戸惑うのです。

また島国ですしその昔に鎖国も長年していたせいか、混血の確率が他国に比べてとても低くその独特な感覚はずっと保持され続けています。

 

これからまたオリンピックが開催されて外国との接点が増えたり、ネット社会の進歩で今の時代に合わなくなってきている風習は自然に消えて行く気もしています。

例えば全体の空気を読みすぎたり、同調して安心感を得る感覚。

正義感と嫉妬心が高まりやすい国民性。

 

テレビを長年持っていないので見ていないですが、実家などで見るとこういった独特な特性が目まぐるしく画面から出ています。日本はテレビを信じる人が多く、純粋な人が多い国だと思います。

欧米は多民族国家が多く多様な人間性と思想が共存しています。

そういった状況が当たり前だからか、少し物事を疑いながら生きる癖がついていると思います。もちろん安心安全度が高い日本は誇りですが、深いところでの感覚の距離は諸外国とまだまだあると思います。

 

さて、3ヶ月後の変化はなんでしょう?

1. ホームシック来たる!(特に主人がひどく福岡を恋しがっている)

2. バーやカフェに出かけておしゃべりする友人ができた

3. 会いたかったスイスの友人たちに再会できた

4. 絵を描き出した

 

こんなところです。

ホームシックの日は唐揚げを揚げたり、にゅう麺をすすったりして解消?していきました。体内から解消するって結構効き目がある気がしました。

もっと和食を上達したいものです。

 

でも遠い国から日本をまた見つめる機会ができて、良かったとも感謝しています。

福岡という土地が大好きなのでいつでも帰りたいですし、主人も同じ気持ちなのですが、折角与えられた機会なので思う存分にここでしか体験できない事をやってみたいです。

 

寒い寒いスイスの冬ももうそこまで近づいてきています。

今年は久しぶりにソリをしたいと思っています。

 

ciao ciao.



 

 

 

 


2020年8月27日木曜日

スイス生活2ヶ月。

 



こちらへ来て2ヶ月経過しました。

生活リズムも掴めるようになり、街を歩いてもドキドキする感じが薄れています。

今回の写真は先日マイエンフェルトへ行った際に野原で見つけた松虫草(スカビオサ)。

マイエンフェルトは私の町から15分ほどでいけるハイジ村がある町です。

アニメの「アルプスの少女ハイジ」を制作する際に宮崎駿さん、高畑勲さんらが取材にきていた事で有名で、

今年は様子が一変していますが本来は日本人観光客に人気の場所。

 

松虫草には個人的な思い入れがあり、私の作品制作の源のような存在です

日本のお花屋さんでも見かけるこの花は標高の高いこの辺りではスミレのように頻繁に咲いていて、

昔暮らしていたときにこの素朴で儚げな可愛いお花の名前はなんだろうか・・・と見つめていました。

元気がないときに、ふと道端で咲いている松虫草を見てその可愛らしさに何度も癒されました。

植物の、人間を幸福にする力や完全なるデザイン性にどんどん興味が湧いていきました。

それから植物の絵を描くようになり、もっと植物を知るために日本へ帰ったらすぐにお花屋さんで働こうと決めました。

働いたのは少しの間でしたが、お花屋さんで植物を毎日触りその感覚を知った後の作品は、

より内面から伸びやかに作品を描けている気がします。

その伸びやかさは、ここ数年描き続けてきたドローイングまで繋がっていきました。

  

さて前回の投稿からひと月経ち、

何か変化をした事はあるのかなぁーと考えていました。

 

  1. ドイツ語をまたひと月分話しているので話慣れてきた事。
  2. 家に家具が少しずつ揃ってきた事。
  3. そろそろアウトプットしたくなってきた事。

 

昔は電話でドイツ語の会話をする事が苦手でしたが、日本で8年ほど電話のお仕事をさせてもらってから電話対応が上達していて、

それはドイツ語でも変わらない事に気付きました。これは大きな発見です。

<要点把握>わからない言葉は置いておいて、わかる言葉を聞き取り再度要件の復唱。

日本語でもやたら難しい言葉を使うお客さんはいたのでその場合の対処法と似ていて、

もう体に染み付いている私は何も考えずとも出来ちゃう。 

あとは素直が一番なので、わかったふりをせずに相手にもう一度説明してもらう・・など。

こんなところで役立つとは、なんでもやってみるものだーと改めて感じます。

電話越しの声を聞くと対面よりもクリアに相手の性格や感情が読み取れるようになっています。

また聞く力や判断力の速さも鍛えられるので語学習得に役立つ仕事だったと思います。

 

家の中は少しずつ充実してきました。スイスは各町に「ブロッキー」と呼ばれるリサイクルショップがあり、

年代物のアンティーク家具や小物も発掘できます。いくつかそこで買ったり、ネットで買ったり。

じわじわとアトリエスペースも完成してきました。

ブロッキーを私は「お宝パラダイス」と心の中で呼んでいて、テンションが・・・所謂アゲアゲになる場所です。

古着と同じく、その物のストーリーを勝手に想像していく楽しみがあり、新しい物質にはない哀愁と美しさが漂っています。

そこで何十年〜100年近く前のイギリス、ドイツ製の食器や花器、

用途のわからない謎すぎる物体・・・を眺めている時間がとてつも無く幸せなのです。

ブロッキー愛は語り出すと長くなるので又の機会に綴りたいと思います。

 

さて、これから少しずつ作品制作を始めます。

数ヶ月のインプットを経てどのようなアイデア出てくるのか楽しみです。


ciao ciao


 


2020年7月17日金曜日

スイス生活1ヶ月。



2020年は忘れられない年になる。今年は世界中がそう思っているでしょう。
個人的には今回のスイス移住は大きなチャレンジでした。
準備の段階から何度も試練が訪れて、やっとの思いで渡航ができました。

それは大きな存在に毎回問われている感覚でした。

本当にお前は大丈夫か?
本当に覚悟はあるのか?

こういう感覚は久しぶりで、試されているのかなーとも思ったくらい。
でも終盤はケセラセラな気持ちでドンと構え出しました。
きっと道は開けるだろう・・ポクポクポク・・といつもの調子で。

前回スイスに住んだ私と今回の私はちょっと違う。
前回はたまたま住む場所がスイスになって、ずっとベルリンに憧れ続けていた。
今回は再びスイスに住みたいと思い、スイスでやってみたい事もできた。

 一度離れた土地に戻り暮らす。
またそれが海外となると言葉から変わるので国内とは一味ちがう。
将来的にはもう少し大きな町へ引っ越す計画ですが、渡航から一月が経とうとしているので、今のうちにこの不思議な感覚を記録しておきたいと思います。

私が現在住む町は人口が約3万人。
地元である福岡市の50分の1ほどの人口でとてもコンパクト。
1日あれば町の端から端まで散策できるほどの大きさです。(登山をしなければ・・笑)

散歩をするだけで以前暮らしていた時は当たり前だった事が、まだ今は新鮮に映ります。

例えば、挨拶。
町を歩くと知らない者同士が当たり前のように挨拶をする。
スーパーでも入店する際にはだいたいお客が「こんにちは」とスタッフに声掛けをして入店する。これは日本の田舎もそうだけど、自分が不審な者でない事を伝える意図も含まれていると思います。逆にいうと、無言で入店からお会計まで済ますとかなり不審に見える。

どのくらいの確率ですれ違いざまに道で挨拶するのだろう?
日本で知らない人へ突然挨拶をすると無視されても不思議ではない。
実験も兼ねてこの一ヶ月は毎朝愛犬と散歩へ出る際に、積極的にこちらから挨拶をしている。アジア人が珍しいこの町で、大型犬を連れたチャイニーズ(日本人がほぼいないのでアジア顔=中国人と思われる)が笑顔でスイス語で挨拶をしてくるって、ここでは異様な光景なのですが、それでも今の所ほぼ100パーセントくらいで返事が返ってくる。

先日スイス人の友人達とこの話題になり、日本人は優しくて親切なイメージなのにお店や道で挨拶をしない事に驚いていた。そういえば主人も福岡に来たての時はコンビニでもどこでも「こんにちは」としっかり目をみて挨拶をしていた。「いらっしゃいませ」と言っているのに何故無視をするの?と私も言われていた。

文化や教育の違い、人口の違いなどもあるだろう。所変われば習わしが変わる。当たり前ですが、こういった些細な感覚の違いを少しずつ思い出しながら暮らしております。まだまだリハビリ期間です。
私が日本へ戻った時も最初は難しかったなー今思い返すと。

こちらへ来て自分の異変にもいくつか気が付きました。
1つ目は 衰えたはずのドイツ語。あら不思議・・・会話できてる。
相手の言葉というより気持ちがすっと入ってくる。妙な能力がパワーアップしたみたいです。あとは年を重ねて間違える事へ抵抗がなくなってきたのもありますね。笑

2つ目は、この町を囲むアルプスの山々に対して。
以前は壁が四方八方に立ちはだかっていると感じていたのですが、今回は大きな山の父達が見守っていると感じました。邪魔者扱いから安心感を与えてくれる存在へ。
自分という人間が成長したのか、今の気分なのかは分かりませんが山が許してくれた頃にでも登ってみたいと思います。

そんなことを感じながらゆっくりとこの生活を観察して、引き続き時間と空間を股にかけた壮大な実験を楽しみたいと思います。


Ciao ciao.












2020年6月25日木曜日

スイスへ移住のご報告。


コロナの影響で少し予定をずらしましたが、先日無事に渡航が完了しました。
私の人生で2度目のスイス生活の始まりです。

以前は4年半スイスで暮らし、主人と愛犬を連れて福岡へ戻り8年が経っておりました。

今回は義母の持病の悪化もあり、彼女のそばで生活する必要性を感じて
再びスイスへ戻ることに決意しました。
愛犬Jojoは人生2度目の長時間飛行・・・震えながら頑張ってくれました。笑
 私1人で大型犬を連れて海外渡航という、久しぶりの大仕事でしたが
なんとかクリアできて只今ホッとしています。良かったー。

まだ日本からの観光目的の入国はできない時期なので
限られた人間しかスイス入国できず・・
乗客は10名ほどでガラガラの機内という、貴重な体験付きでした。


引っ越しの準備に関しては日本とスイスの家族と友人が気にかけてくれて
沢山サポートをしてくれました。本当にありがとう。

スイスと日本。文化も言語も全く異なる2カ国での生活。
比較する点は数えたらキリがないけれど、どこに住んでいても
まずは自分自身を大事にして、心地よさを作ることが大切だと思います。

そして近くに居てくれる家族や友人に感謝と愛をもって素直に接する。
シンプルだけど意外に難しい。
でもこれが出来ればどの国でもどんな言葉でも、
幸せで美しい日々の連続になる事を
この10年ほどのスイスと日本の生活で実感しました。

アート活動に関して。
日本で暮らした間に様々な方に作品発表の場を与えていただきました
頂いたチャンスに感謝をしつつ、この先の制作にも繋げたいと思います。
まだまだ描きたいもの、作りたいものだらけなので
今後の活動の投稿も楽しんでいただけたら幸いです。

コロナの影響もあり、リモート化が急速に進んだ新しい世界。
物理的な距離は今や、感覚的にはずっと近くに感じます。
そんな世の中のお陰であまり寂しい気持ちも持たずにこちらへ来ました。
とは言え、極力毎年福岡には帰ろうかと計画しておりますし
日本でも引き続き何か面白い表現ができないかな・・・。なんて考えています。


少し大人なった私はこの場所で何を感じていくのでしょう。
これからも私らしく、日々を楽しみながら制作をしていきます。
さぁーて、新しい章の始まりです。



Ciao ciao.


2020年2月6日木曜日

『おとない - Sound Visit - 展』振り返り。









 "Drawing maker"
おとない -Sound/Visit- 展 2020.1.15~1.19
出品作家:生島国宜、Eri Tsutsumy、城一裕、duenn、monogs
主催:福岡県立美術館、おとない展実行委員会
助成:公益財団法人 福岡文化財団

 2020年、年明け早々に福岡県立美術館の企画展に参加させていただきました。
 今回は大きなブラックボックス。キャスター付きの立体作品です。
最初に企画のお話をいただいた時に「音」がテーマという事でしたので、
サウンド系の作品とどのように混ざり合い、自分なりに表現しようか少し悩みました。

兼ねてから趣味的な位置で続けていた日々のドローイング画。
今回はこれを取り入れ”音を描き記録する有人機械” を制作しました。
会場内の音や声などを拾ってドローイングを描き、
BOX中から外へ5日間の音の記録を撒いてゆきました。

また、美術館2階から覗くとBOX内でチマチマ、ゴソゴソと描くその様子を
覗ける作りにしてみました。

美術館ということもあり、様々なジャンルと年齢層の方にお越しいただきました。
印象的だったのは、視覚障害がある子供たちが先生ときてくれて
一緒に展示をしていた城さんの陶器のレコードを嬉しそうに聴いていたことです。
数年前から個人的に、視覚障害や盲ろう障害がある方にとっての「芸術」
「Unseen Art」について考える機会が増えてきました。
私はライブドローイング中だったのでお話ができず・・・でしたが
喜んで帰って行った姿を見て、今回の展示に参加ができた事を幸せに感じました。

他にも、最終日にきてくれた子供達の反応も興味深かったです。
今回はインスタレーションのような展示だったので、
私が撒いたドローイングは床に何百枚もあり、踏んでもOKとしました。
それでも、大人達はアート作品という意識で
極力気を使って紙を避けて会場内を歩くのですが、
子供は紙と紙が触れる音が落ち葉を踏むように聞こえるらしく、
気持ちよくなりどんどんと踏んでいきます。
終いにはビリビリに破いて遊ぶ・・・紙飛行機にしてみる・・・頭にのせてみる・・。
描かれた線や色自体に興味を示すのは中学生以上のようでした。
そんな世代別のアートとの関わりの違いもBOXの中で時々観察をして楽しんでいました。

また、賛否のご意見があったようで特に私の作品はアートを床に撒いて
なおかつ踏んでいいなんて・・・と批判のご意見もあったようです。
様々な思いを抱いて作品を鑑賞してもらう、作家にとっては喜ばしい現象です。

今回は図面ひきから始まり、素材の相談、制作の指導までWald art studioの森さんには大変お世話になりました。
そんなスーパーサポーターが福岡で身近にいることに感謝です。

また、今回キュレーションを行なってくださった県美の学芸員の藤本さん。
こういったチャレンジできる機会を設けていただいてありがたかったです。
プロフェッショナルな美術の現場を間近で拝見でき、貴重な時間となりました。

 さてさて、また日々の制作に戻っていこうと思います。

ciao ciao